(1)犯罪報道とは
まず典型的な犯罪報道についてまとめてみたい。
犯罪の取材・報道は、警察、検察庁、その他の捜査機関に対する公式、非公式の取材によって始まる。また、被害者の告訴や告発という行為によって、取材が開始される場合もよくある。さらに、新聞の独自取材によって報道が始まり、途中から捜査機関が関係する場合もある。その度合いはいろいろあるが、どの場合も公権力の捜査に依存して犯罪に関する情報をマスコミ側が入手するのである。別のいい方をすれば、本来の犯罪報道は、一番初めの情報を捜査機関に依存し、当局の動きの節目、節目に合わせて犯罪に関するニュースを報道している。捜査当局との密着、癒着という批判は、そのあたりから生まれるものだという(日本新聞協会研究所、1990)。
犯罪報道には、二つの役割がある。ひとつは、事実をありのまま報道することであり、もうひとつは、捜査における公権力の行使を冷静な視点できちんと観察することであるという。いいかえれば、捜査権が正しく行使されているかどうかを監視することである。犯罪の告発者は捜査機関に限らない。事件に巻き込まれた一般人も犯罪を告訴、あるいは告発する。どの場合でも、一方の当事者の言い分や主張、逮捕事実、起訴事実、告訴事実などのみに頼るのは危険である。この点に関して報道側の検証能力、あるいは取材能力が問われている(日本新聞協会研究所、1990)。
(2)実名報道
現在、日本の報道機関では、原則実名、必要に応じて匿名の範囲を拡大するという方針をとっており、匿名報道を採用していない。
犯罪報道における被疑者の原則実名報道の根拠はどこにあるのだろうか。朝日新聞社が1990年8月にまとめた、報道小委員会報告「新しい事件報道をめざして」によると、原則実名とする根拠は次のようなものである(権田、1994)。
@市民生活を脅かす犯罪の被疑者を特定することは、犯罪事実自体とともに重要な公共
の関心事であり、それを報じることは十分に公益性がある。
A実名報道の弊害については、人権を侵害しない報道の仕方、記事の書き方によって対 応を考えるべきである。
B日本における「プレスの自由」は権力機構との関係でまだ十分に保障されておらず、 匿名報道に変更するためには、情報公開制度の実現など前提条件が満たされることが 必要。
C匿名報道では、「誰が」「誰を」「どうした」「なぜ」などの読者が必要とするデー タ、事件の細かな部分を正確に伝えることが困難になる。
D匿名報道を前提とすれば、捜査当局が被疑者の氏名を匿名とするおそれがあり、市民 が捜査権行使をチェックすることがよりむずかしくなる。
E匿名報道は、地域社会や特定の職業の人たちの間で「犯人捜し」騒ぎなどの事態を招 くおそれがある。
F匿名原則をとった場合、取材は甘くなり、表現が曖昧になるおそれがある。
G将来はともかく、現時点では、多くの読者が匿名原則への転換を求めているとは考え にくい。
その他にも、実名報道による犯罪抑止力の効果が弱まる、実名報道こそ冤罪を救うことができる、などの意見があげられている(松井、1993)。
(3)匿名報道
匿名報道主義は、1980年代半ばから盛んに主張されるようになり、マスコミの犯罪報道による名誉・プライバシー侵害から個人を守るための有力な方法のひとつだとされた。これは、マスコミが被疑者・被告人・在監者について、氏名・年齢・住所・職業によってその人が本人であると推測できる記事や写真を報道しないことを内容とするものだ。現在、マスコミは、未成年者や精神障害者の犯罪に匿名主義を採用しているが、匿名のおよぶ範囲を広げて匿名を原則とし、実名による報道を例外的なものにしていくのがこの方法である(松井、1993)。
匿名報道主義が主張される理由としては次のようなものがあげられている(増田、1987;松井、1993)。
@匿名にしたとしても、警察の記者発表の段階での匿名を許すわけではなく、取材も実 名で行なわれるため、即、権力チェック機能が失われるとは思えない。
A実名報道の犯罪抑止力や冤罪防止について、現在の犯罪・冤罪発生の状況を考えると
疑問視せざるをえない。
B匿名報道によってこそ、犯罪の核心に迫る取材が可能となり、万が一の誤報にも備え ることができる。
C実名報道における犯罪報道は、被疑者・被告人自身だけでなく、その家族らにも人権
侵害をもたらし、取り返しのつかないものとなる。
D実名報道では、逮捕、起訴、公判中の段階での「推定無罪」はなされず、市民に被疑 者=真犯人の思い込みを招き、報道された者に対するリンチになるおそれがある。
これまでも、新聞界は、@未成年者の被疑者、A精神障害のある被疑者、B参考人、別件逮捕者、C婦女暴行事件の被害者、D自殺、心中未遂者、E被疑者の家族、F刑期満了者、などについては原則匿名で報道してきた。
このうち、婦女暴行事件の被害者については、その被害者が殺された場合は、従来は実名で報道してきたが、1990年1月に起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件の報道で、被害者の女子高校生の氏名、写真が新聞や週刊誌、テレビで報道されたことに関連して、女性弁護士、女性議員、婦人活動家などから同年5月、連名で強い抗議がマスコミ各社に寄せられた。 こういう批判を受けて、朝日新聞は同年8月からレイプ事件では被害者が殺された場合も匿名とする方針を発表した。また、微罪・軽過失事件の被疑者についても、匿名化する社が増加したという。
このように、新聞界は人権侵害を深刻に受け止め、自主的な判断で被疑者や関係者の人権を配慮した匿名範囲の拡大を進めていることも事実である。(権田、1994)。
(4)「容疑者呼称」が生まれるまで
犯罪報道のあり方をめぐって、重要なテーマとしてあげられる問題のひとつとして、容疑者の「敬称、呼称」がある。日本のマスメディアでは、1984年3月まで、犯罪事件で逮捕された容疑者の名前は、ごく一部の例外を除き、すべて呼び捨てだった。容疑者に対する国民感情を配慮して、続けられてきたものである。
この呼び捨てをやめ、「容疑者」という呼称をつけようと言い出したのはNHKである。同年4月からNHK単独でも実施すると発表した。NHKは「犯罪報道と呼称基本方針」を発表し、逮捕者・被告人には原則として「容疑者」または「肩書き」や「被告」の呼称をつけることにした。そして、報道局内に「報道と人に関する委員会」を設置したのである(松井、1993)。
NHKの発表によると、容疑者の人権擁護という観点に立って「呼び捨て廃止」を約1年前から検討してきたという。とくに当時の冤罪事件の多発と、前年9月、
NHKの説明では、活字メディアと違って放送では「呼び捨て」がより強調されるので、NHKだけでも先行して実施しようと考えたこと、裁判になれば「被告」という呼称があるのに、逮捕から起訴されるまでの間には適当な呼称がなく、結局、「被告」に対する「被疑者」という言葉を使うことにし発音がしにくいことから同義語の「容疑者」を呼称とすることにしたという。(川崎・柴田、1996)
NHKに続き、1989年4月にはフジテレビ系列が、1989年11月には毎日新聞が、そして12月からは他の全国紙、地方紙、通信社、放送各社も呼び捨てを廃止し、容疑者呼称がマスコミ界に定着していった(権田、1994)。このように、呼び捨て廃止が定着するようになった背景には、逮捕時に呼び捨てにすることは被疑者を犯人扱いするものだとする人権上の問題を配慮したためだ。