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3.名誉権とプライバシー

(1)   名誉権と名誉毀損

 「名誉」とは、主観的な名誉感情ではなく、人が社会から受けている客観的な評価をいう。人が社会の中で暮らしていると、周りの人からなんらかの評価を受けることになるが、これが名誉毀損を問題にするときの「名誉」とされている。したがって、「自分はこういう人間だ」といった主観的な評価は、「名誉」とはならない。また、名誉毀損とは、人の社会的な評価を低下させることを意味している(田島、1998;喜田村、1999)。
  そこで、まず、刑法の中での名誉毀損の扱いについて述べたい。
 マス・メディアが行なう報道が他人の名誉を侵害した場合、名誉毀損の責任が生じる。刑法230条において、以下のように規定されている。

   1項 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以      下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
    2項 死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合で           なければ、罰しない。

しかし、たとえば、政治家の活動に対する批判などはとても難しくなる。そこで、刑法は第230条の2で次のように定める。
   1項 前条第1項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図る     ことにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったと     きは、これを罰しない。
   2項 前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する     事実は、公共に利害に関する事実とみなす。
   3項 前条第1項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、     事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。

  つまり、公共の利害に関わり(事実の公共性)、公益を図る目的での表現であれば(目的の公益性)、指摘された事実が真実なら(事実の真実性)、罰せられないという、いわば「免責法理」が定められている(駒村、2001;浜田、1993)。
  一方、民事では、名誉毀損は不法行為とみなされ、民法第709710条により、損害賠償責任の対象となっている。民法においても刑法と同じく、虚名も保護されていると考えられており、そのため、真実を公表することも名誉毀損になると考えられている。ここでいう虚名とは、実質を伴わない表面だけの名声・評判のことである。しかし、刑法上は公然と事実を摘示することが名誉毀損の要件とされているが、民法で名誉毀損が成立するためには、この要件は不可欠とは考えられていない。したがって、意見の公表によって名誉が傷つけられたとしても民事上の名誉毀損は成立する(松井、1994;平松、1999
  なお、民法は名誉毀損に対する救済方法として従来の損害賠償請求(慰謝料請求)に加えて、第723条では「他人ノ名誉ヲ毀損シタル者ニ対シテハ裁判所ハ被害者ノ請求ニ因リ損害賠償ニ代へ又ハ損害賠償ト共ニ名誉ヲ回復スルニ適当ナル処分ヲ命スルコトヲ得」と規定している。この規定をもとに、裁判所は謝罪広告などそれぞれのケースに応じた原状回復処分を命じることが可能である(駒村、2001)。

(2)プライバシーの権利

 プライバシーの権利というものは、比較的新しい考え方である。この権利は、19世紀のアメリカで、「ひとりでほっておいてもらう権利(right to be let alone)」として発展してきた。つまり、私生活の中で他人に知られたくないことを、そのまま他人に知らせないでいる権利ということになる。
 プライバシーの権利が、日本の裁判所で認められたのは、「宴のあと」事件に関する東京地裁判決(昭39928判時38512頁)である。事件は、東京都知事選挙の候補者となった人物とその妻の間の愛情問題を描いた、三島由紀夫の小説「宴のあと」をめぐり、小説のモデルとされた元外務省大臣が、三島由紀夫と出版元の新潮社に対して、自己のプライバシーを侵害されたとして慰謝料と謝罪広告を請求したものである。判決は、プライバシー権を「私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利」と定義したうえで、その「不法な侵害に対しては法的救済が与えられるまでに高められた人格的な利益」であるとし、慰謝料の支払いを命じた。
  プライバシーの権利侵害の要件として必要なのは、公開された内容が、@私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのあること(一般には夫婦・家族関係、恋愛関係など私生活に関する事実がプライバシーと考えられているがそれらに限定されているわけではなく、前科などもプライバシーと認められている。)、A一般の人々が公開を必要としないであろうと認められること、B一般の人々に未だ知られていない事柄であるということだ。だだし、ある地域では公知の情報でも、全国的にはそうでないといった場合には、プライバシーの侵害になるし、時間が経過することによって、以前は公知の事実だったことがプライバシーとなることもありうる(浜田、1993;田島、1998;喜田村、1999;平松、1999;池田、1993;松井、1994)。
 プライバシー侵害には、それを判断する明確な基準はなく、ケース・バイ・ケースで判断するしかないという。公表することが公共の利益に関係することなのか、それとも単に興味本位にすぎないのか、また対象となる人物が公人か私人かなどによって、その結果は違ってくる。政治家や公務員の場合は、プライバシーの及ぶ範囲がそれ以外の人より狭いと考えるべきである(牧野、1991)。

(3)過剰取材とプライバシー

 過剰取材とされるのは、相手が拒否しているのに「つきまとい、待ち伏せ、道路に立ちふさがる、見張り、押し掛け、電話を時間帯にかかわらずかける」などの行為を継続的に反復したり、相手の生活の平穏を著しく害したりすることだ(飯室、2002)。これらは、重大事件で記者が取る通常の取材行動と紙一重である。「報道によるプライバシー侵害」も「過剰取材」も報道の必要性、言い換えれば事実の公共性、報道目的の公益性と密接な関係がある。本人にとっては、明らかにしたくない事実、過剰と感じられる取材行為であっても、公共のため、国民のため、国民の知る権利のために受忍すべき場合もあるという(飯室、2002)。