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2.「マスコミ不信」の背景


冒頭で述べたように、市民の中に流れる「マスコミ不信」の空気は1980年代以降に起きた報道による人権侵害への市民意識の高まりがひとつのきっかけだとされている。では、なぜ市民の「マスコミ不信」が大きくなったのか、1980年以降の背景を振り返ってみたい。
 1980年代に、報道媒体の増加や、過当競争が目立ち始め、その中でも特に週刊誌の発行部数増加が顕著だといわれる(日本弁護士連合会、1987)。1980年代は写真週刊誌のブームともいわれ、8110月には新潮社から『FOCUS』が創刊され、一時は200万部に達した。その後も、83年に『フライデー』(講談社)、『フラッシュ』(光文社)、『エンマ』(文藝春秋)、『タッチ』(小学館)などと続いた(山下、2000)。
  村上(2001)によると、戦後に判決のあったマス・メディア関連のプライバシー侵害が問題になったと思われる訴訟は137件あり、そのうち100件では原告、つまり被害者側が勝訴したという。年代別で見ると、次のようになる。

 

 

50年代   60年代   70年代   80年代   90年以降 

  

 

 

 

 

民事事件

 

刑事事件

 

9件    6件     10件    22件    75

 

8件    5件     1件     1件     ― 

                              村上(2001)より

 1980年代のプライバシー侵害に関する訴訟の増加は、写真週刊誌の登場によるものといわれているが、90年代の激増は、これに加えてロス疑惑の被疑者だった三浦和義氏が一人で多くのマス・メディアを相手に訴訟を起こし、その中にプライバシー訴訟も20件含まれていたことが大きく影響しているという。
 「ロス疑惑」は、夫妻でロサンゼルスを旅行中に襲われ、自らもけがをした三浦氏が、実は妻に多額の保険金をかけて知人に銃撃させたのではないかと19841月の『週刊文春』が連載記事「疑惑の銃弾」で告発したことに端を発している。それにテレビ局が一斉に飛びついて大騒ぎになった事件である。なかでも民放テレビのワイドショーの興奮ぶりが目立ち、一時はどのチャンネルを回しても、「ロス疑惑」をやっているという状況が続いた。「今日はこんな新事実が」と三浦氏の過去やプライバシーが次々と暴かれ、三浦氏の家の前から「ただいま本人がゴミを捨てに出てきました」と中継するほどだったのである(川崎・柴田、1996;川嶋・天野・前田・阿部、1993)。
 このように、『FOCUS』や『フライデー』といった写真週刊誌の部数増加が市民のマスコミへの不信感を方向づけた一因としてあげられよう。
 また、市民のプライバシー侵害への関心を高めるきっかけとなったであろう出来事もいくつかある。1987年に、日本弁護士連合会主催の第30回人権擁護大会において「人権と報道−報道の自由と人権擁護との調和を求めて−」と題して、人権と報道をめぐるさまざまな問題について検討がなされ、「人権と報道に関する宣言」が採択された。また、1997年には「放送と人権に関する委員会機構(BRO)」という第三者機関が設置され、課題は多いものの、市民からのマスコミへの苦情を受け付ける機関ができたことも要因のひとつではないか。
 BROは、「評議委員会」と「放送と人権など権利に関する委員会(BRC)」を内部に設置しており、評議委員は5名以内、BRC委員は8名以内から構成される。BROの設置された目的について規約の3条には、「放送による言論と表現の自由を確保し、かつ、視聴者の基本的人権を擁護するため、放送への苦情に対して、視聴者の立場から迅速かつ有効に対応し、正確な放送と放送倫理の高揚に寄与する」と明記されている(渡邊、2001)。
  そして、市民の「マスコミ不信」を背景に、2001327日、「個人情報保護法案」が閣議決定された。個人情報保護法は、個人情報保護法1条の中で、電子計算機処理される個人情報の取り扱いについての基本的なルールを定めることによって、個人の権利利益を保護し、併せて行政の適正・円滑な運営を図ろうとするものだと定められている(池田、1993P155)。この法案作りの早い段階からメディアが「メディアを規制し、表現・報道の自由を侵しかねない」と批判してきたにもかかわらず、政府が問題点を検討しないまま法案の成立を目指そうとすることを考えると、いかに「マスコミ不信」の後押しが強力であるかがうかがえるであろう(橋場、2002)。
  次に、1980年以降に具体的にどのような事件が起きたのかまとめてみたい。
 まず、報道被害の注目された事件をいくつか取り上げてみることにするが、1980年代を代表する事件として、「ロス疑惑」がある。この事件は、先にも述べたように、81年に米国ロサンゼルス市で起きた「ロス銃撃事件」で、三浦和義氏が殺人などの罪に問われたもので、報道が捜査に先行する異例の展開をたどり、過熱報道も問題となった(西日本新聞社、2000)。三浦氏がマス・メディア各社に対して起こした名誉毀損民事訴訟の件数は300件以上とも500件以上とも言われている。このうち時効で棄却されたものなどを除くと、裁判の「勝率」は8割近くとなった(村上、2001;人権と報道・連絡会、2003)
  1990年代に入ると、80年代に比べ、報道被害がさらに目立つようになる。
  1994年には「松本サリン事件」が起こる。この事件では、「ロス疑惑」と同様に、警察の誤った捜査と、警察情報に頼りきったマスコミの思いこみによって事件に無関係な河野義行氏が「犯人」に仕立て上げられてしまった。マスコミの完全に河野氏を犯人視した報道は、翌年の3月まで続いた(佐藤、2002)。
  19973月の「東京電力女性社員殺人事件」では、被害者は高学歴で、昼は東京電力の管理職として勤務し、夜は街娼として渋谷の町角に立つという二面性を持っていたとされたことから、その私生活が大きな話題となった。多くのマスコミは、事件そのものと離れた被害者のプライバシーの暴露に集中し、犯罪被害者とその家族の人権を侵害する取材、報道の問題が新たに生じた事件となった(日本弁護士連合会、1999;左同、2000;山陰中央新報社、2000)。
  同じく19975月に起こった「神戸児童連続殺傷事件」が注目された。この事件は、被害少年の遺体の一部が中学校正門前で発見され、被疑者として逮捕された少年が14歳の中学生という衝撃的な事件で、写真週刊誌がこの事件の被疑者であるとされた少年の写真と家族についての記事を掲載し、少年法の精神を踏みにじったとして問題となった(日本弁護士連合会、1997)。
  19987月に起こった「和歌山カレー毒物混入事件」では、一部の報道機関の取材および報道は、特定の個人の住居を昼夜にわたり監視し、その子どもの写真を撮影するなど、個人の名誉・プライバシーやその家族および近隣住民の生活の平穏を侵害したばかりか、特定の個人の嫌疑を執拗に探索し、問題となった(日本弁護士連合会、1998)。
  このようにマスコミvs市民という対立関係はいっこうに改善されず、プライバシー侵害事件訴訟は増える一方である。そこで、以下ではプライバシーの権利や名誉権とはどのようなものか、報道が許される公的関心の範囲(公人か私人かなど)は法律ではどのように解釈されているのかなど基本的な事柄に触れ、名誉毀損やプライバシー侵害について考えてみたい。