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1.メディアの使命

 メディアは現代社会にとって、なくてはならない存在である。 メディアとは「人間社会において、人と人とを結び、人の目となり、耳となって働く情報媒体」のことであり、人々の知識や考えに決定的な影響力をもっている。メディアは、いまや私達の地球的規模の社会観、世界観を根底で支えているといってよいほどの巨大な存在となった(渡辺、1997)。
 たとえば、社会を動かしているのは政治や経済の力であるが、その政治や経済の基本となる情報を運び、人々にその都度の判断をさせる基準となっている情報を提供しているのがメディアだ。したがって、メディアが誤った情報を送れば社会は混乱し、民主社会の基本そのものが崩れてしまうことになる。

 メディアとは、その使い方ひとつで「社会の凶器」にもなるし、市民主権の原理で運用されるなら、楽しく平和な「社会の運営補助手段」にもなるものだ。
 このことを考えると、メディアが市民に提供する情報の内容と特性は、そのまま社会の質と動向、市民主権社会の行方につながるともいえ、また良質のメディアが、より良い市民社会をつくりえるともいえる(渡辺、1997)。
 その意味で、メディアは、まず市民の立場に立った、権力と社会悪に対する監視者でなければならない使命と責任を担っている。
 権力と社会悪に対する監視者としての使命と責任を果たすためには、正しいデータと社会的真実によって、主権者である市民に基礎資料となる情報を正確に伝えなければならない。 
  渡辺(1997)によると、メディアが本来担うべき役割とは以下のように大別できる。

「@正しい情報の提供(報道番組はもちろん教育番組等も含む)はもちろんのこと、A評論と解説(科学的最先端の問題だけでなく、錯綜した社会問題を平易に解説する)、B市民への議論の場(討論と意見交換のためのプラザの提供)、C社会教育機能と生涯教育(全番組を通して社会の改善と改革へのキャンペーンを展開する)、D娯楽提供(今日の疲れを癒し、明日への活力となる「社会の潤滑油」としての楽しみの時間の提供)、E広告媒体機能(優れた商品の社会流通の保障)、F慰安・福祉機能(お年寄りや子ども、 外国人や障害者にも理解でき、楽しんでもらえる内容の工夫)」(P73 

このうちジャーナリズムとしてもっとも大事なのは、@の「報道」、つまり正しい情報の提供だという。だが、それに関係するものとして、Aの論評と解説、および社会問題についての市民の意見交換の場としてのメディアの役割は、とても重要である。 
 しかし、日本のメディアはそうしたジャーナリズム的側面をいくらか犠牲にして、その分だけ、D娯楽提供やE宣伝媒体としてより大きく利用されているのが実情である。
 また、メディアが担うべき役割について門奈(2001)は次のように述べている。

  「英国のメディア研究者、ブライアン・マクネアによれば、第一に、メディアは市民の周辺で今何が起こっているかを知らせる機能を持つ(環境監視の機能、ないしは環境     評価の機能)。第二に、メディアは事実の意味と意義について説く(教育機能)。第三に、メディアは公の政治的対話のための論壇を提供していく。これは〈世論〉形成を促進し、公衆に世論をフィードバックする機能をいうが、その機能には反対意見を表明する空間を提供することも含まれる。第四に、ジャーナリズムの番犬的な役割とでも呼ぶべき政治権力や経済権力の行動を明らかにしていく機能である。ミハエル・ゴルバチョフの言葉を借りれば、世論が政策決定に何らかの影響を与えていくには政治権力の行動を明らかにするということで、「公開性」が保たれなければならない。第五に、民主主義社会におけるメディアは政治的見解の主張のための伝達回路としても機能していく。政党は自分たちの政策やプログラムを発表する場としてメディアを活用し、メディアもまた、各々の政党に開かれていなければならない。」(P137

 取材したことを自由に表現できなければ十分な取材報道活動は存在しない。世界で最初に表現と報道の自由を憲法で権利として明確に保障したのは、1791年のアメリカ憲法修正第一条である。日本は、第二次大戦後、連合国の占領下で作られた現行憲法によって、アメリカ憲法と同質の言論の自由を確立することができた。憲法21条はいかなる留保もなしに「一切の表現の自由は、これを保障する」と規定している。しかし、最高裁は、言論・表現の自由が公共の福祉によって制限されるという立場をとっている。社会の幸福や利益を重視すればそれだけ表現の自由は弱まることになる。つまり、メディアの表現の自由より国民の利益が優先されるということだ。