第4章―個人の表現のための著作権制度に向けて

本論文では、個人ウェブサイトの管理者が、著作権に対してどのような意識を有し、それがウェブサイト上でどのように現れているかということについて考察を行っていった。今までの論文展開を回顧する。
第1章第2節において、インターネットにおけるWWWの開発、その中でもモザイクというソフトウェアによって、インターネットが研究者から一般市民のネットワークに発展したことを論じた。そして、無料ウェブスペースのような無料サービスが、個人がウェブサイトを開設し表現活動をすることを容易にしたことを示した。
第1章第3節以降において、表現活動に関係する法制度である「著作権制度」について解説を行った。著作権制度は文化の発展のために表現者にインセンティヴを授与するものであるが、表現者だけでなく、伝達者にも保護を与える制度であることを明らかにした。しかし、インターネットのような情報通信技術の発展により、伝達者が利益を得るための構造が破壊されている現状についてナップスター事件をひとつの例にして解説した。また、ウェブサイトにおける表現についても著作権によって制限が加えられているということも示した。
第2章、第3章において、「モーニング娘。」のファンサイトを対象に著作権の侵害の実態を調査した。写真著作物の改変など、著作物の無断利用が当然のように行われている現状を明らかにし、その裏には「非営利なら許される」という管理者の認識と「多くの人に閲覧してもらいたい」という管理者の二つの意識があることを示唆した。また、無断利用が二次的な無断利用を発生させ、その対処のために管理者が苦悩している状況も明らかになった。

第1節―二次利用の難しさ

第2節―著作権利用のための試み

日本の現在の著作権法は「複製禁止権中心主義」と呼ばれている。基本的に他人が著作権を有する著作物については、許諾がない限り利用できないというのが原則となっている。しかし、現在は誰しもが著作物を複製、改変することが可能な時代となっている。その状況に対し文化庁も「自由利用マーク」なるものを定めて著作者が複製や改変について意思表示ができるように提案を行い(鈴木謙介, 2003)、また民間レベルでは「クリエイティブ・コモンズ」というさらに詳細に権利について設定が可能なシステムも提案されている(白田、ロージナ茶会, 2003, p.138)。
自らの意思を公にすること、たとえばそれは契約意識の発達とも言えるのだろうが、著作者の意識が変化すれば、このようなマークが効力を発揮する時代が到来するかもしれない。しかし、著作者の意識の趨勢が他人の二次利用を禁止する方向に向かってしまえば状況はより悪化するに違いない。
さらに過去の著作物の利用はどのように考えればいいのか。アメリカでは著作権の保護期間が70年と延長され、それに対して憲法違反だという訴訟が行われたが、最高裁まで争ったが訴えは認められなかった(横山, 2003, pp.268-273)。第2章で指摘したように映画の著作物に関しては権利関係が複雑であり、隣の国韓国ではテレビ番組のインターネット上でサイマル放送を放映しているにもかかわらず、日本では人気番組のストリーミング放送が少ないという状況や(佐々木, 2004, p.146)、NHKのライブラリーのほとんどが再放送できないという現状(岡本, 2003)に顕著に現れている。また、ゲームソフトのように、開発当初は著作権意識が希薄だったため権利者が不明となり、利用に困難が生じている事例もみられる(「生みの親だれ?ファミコンソフト53本の著作権不明」, 2003)。
こういった過去の著作物の利用についてアメリカでCATV放送の際の権利処理に採用された「強制許諾」(compulsory license)による解決が参考となるだろう(レッシグ, 2002, p.173)。これは「公益的見地から著作物の利用について権利者の意志にかかわらず行政機関が許諾を与える制度」(鈴木雄一, 2002, p.45)である。「許諾」という表現から公的機関の関与を強める結果になるのではと批判されるかもしれないが、国家がもともと著作者に授与していた保護の範囲を縮小することだと言えるだろう。デジタル化により過去に比べて著作物の利用可能性が高まっている現在、著作権の保護の拡大を目指すか、それとも自由利用の範囲を拡大させるべきかが争点となっている。しかし、ウェブサイトでの利用を考える際の争点は個人が気軽に利用できる制度が必要なのだ。事前の許諾というのは利用に対して抵抗を生み出す。ウェブサイトの発展を見ても障壁を低下させることが普及に寄与したのだ。
著作権制度が生まれた当時は、著作物を複製し、流通させることに大きな費用が生じていたが、インターネットが発達した現在では、著作物の複製・流通を阻止することに大きな費用がかかる時代となった。「安易なコピーを認めれば、著作権を軽視する風潮を招きかねない」(「『電子の活字』若者戻る」, 2004)という主張もある。しかし、複製を認めても、その対価を徴収するシステムさえ構築できるなら著作権が軽視されることはないだろう。技術の進歩は目覚しいもので、コピーを防止する電子透かしや、著作物の流通システムなどの技術開発は進んでいる。
著作権制度が発生した当時は表現者といわれる人たちはごく一部で、彼らとその利用者も当然一部の層に限定されていた。現在はインターネット上から作家が誕生する時代だ。著作権制度が一部の表現者や伝達者に保護を与える制度ではなく、「草の根」クリエーターが活躍する時代に適合した制度の構築が求められている。過去にとらわれることなく制度を大きく変化させていくべきだ。